『ケーキ食べたいな。』
『もっとお金があったらな。』
『いい暮らしができたらな。』
ヨガに夢中の時は、煩悩を持つこと自体がダメなことだ、って思っていました。
なぜなら、悟りから遠のいてしまうから。
煩悩を捨ててこそ、悟りの境地が得られると思っていたので、世俗のことを体験すること自体を否定していました。
ですが、とある日本文化に精通する方から言われた言葉でハッとしました。
『悟り=高尚と考えること自体が違うのでは?』
『そもそも釈迦は悟りを教えているのではない。』
え〜〜〜〜!!!!
だとしたら、、今あるヨガの教えは、、なんなのか?と疑問が湧きました。
サマディ(三昧)を得るためにヨガ行者の人は毎日ヨガして瞑想しているのに。。
でも、その方からの言葉でハッとしたんです。
◉ぶっちゃけ『悟りたい』も煩悩です。
悟ることで、自分は何を期待していたのか??
でも、自分の煩悩を叶えるために行動してみることで、自分が本当に欲しかったものに一歩近づくことってあるんです。
だから、煩悩を否定せず、煩悩を行動してみたらいいんです。
『ケーキ食べたい』なら食べればいい。
『お金が欲しい』なら、自分なりにお金を得ていい。
だから、『インドに行きたい』なら行ってみればいい。ヨガの修行もやってみたらいいと思うんです。
(私なんてインドのグルに言われるがままに、朝5時から塩水でカラダを清めて、マントラ瞑想を毎日すれば悟れるって言われたのでまんまやったし笑)
で、やって気づいたことは、
私の場合は、悟って仙人のような生き方がしたかったわけではなかったんです。
(そんな朝5時から水かぶり生活なんて続かへんかった。。)
何が本当はしたかったのか?というと、、
悩みから解放されて心もカラダも軽くなりたかった。
解放されたかった。
でもそのやり方がわからなかったので、そうなりそうな悟りなら、なれるんじゃ??と思い込んでたんです。
(ちょうどヨガにハマっている時、離婚寸前でパートナーとうまくいかないし、子供は破天荒で毎日小学校の先生から電話かかってくるし、自分の女性としての人生や子育てを否定されているようで毎日孤独でめちゃくちゃ辛かった。
だからこそ、世俗の体験はどこに行っても、苦しみだらけだと思い込んでた。)
だから悟ったら悩みが消えて、スッキリして楽に生きていけるって本気で思ってたんです。
ですが、生きるのが苦しかったのは、私のカラダの特性に理由があっただけで。
カラダの特性からキャパが小さいからこそ、心にもカラダにも余裕なんてなかったんです。
もう悩みでいっぱいで。
だからこそ、苦しみの中にも今ここにある自分なりの幸せを見ようとしなかったし、見れる状態じゃなかった。
心とカラダに余裕がないと、苦しい時、自分にある幸せに気づくことなんてできません。
だから、本当に変えないといけないのは、、
◉わたしの心とカラダの状態だった!!!
カラダのホルモンバランスが安定しないから、心はいつも不安で苦しく何やっても怖かっただけだった。
だからこそ、ひと目を気にしすぎて自分の意見を表現することがめちゃくちゃ怖かった。
パートナーシップでも自分の本心を我慢して15年も元夫と暮らしてたし、家にいることがとても辛かったのに、我慢しすぎて自分の本心をみることさえも怖かった。
もし、あのまま悟るヨガを探求し続けていたら、、
悟った先は、結局、孤独な人生しか待っていなかったのだ。。っていうことに、心とカラダのホルモンバランスが取れたらピカって気づいたんです。そうなる前に気づけてよかったですが(泣)
だからこそ、今の現実が生きづらい方にこそ、そこから自分の力で抜ける力は自分の中にあるよって伝えたいし、それができる自分に先になるために必要なことをコツコツやっていくと、ちゃんと心とカラダは軽くなって、自分への自信ってちゃんとついてくる✨
自分の苦しかった経験さえも、ありがたく思えてくる✨
今すぐやるべきことは、ただ一つ!
カラダから整えて心を安心させてあげること。
カラダから安心できると、楽に心は変わるし、自然と自分が本当に欲しかったものを見つける次のステップは自ずと見えてきます。
ヨガを長年続けていても、心とカラダがスッキリしない方。
私でよければ、サポートさせてくださいね✨
生徒さんのカラダが変われば心が変わって飛躍したケーススタディ、こちらでもシェアしてますので、
ぜひ受け取ってみてくださいね✨